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東京地方裁判所 昭和29年(ヨ)4006号 決定

申請人 米山延良

被申請人 東光電気株式会社

主文

被申請人が申請人に対して昭和二十九年一月十三日なした解雇の意思表示の効力を停止する。

申請費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

理由

第一、申請の趣旨

主文第一項と同旨の裁判を求める。

第二、答弁の趣旨

仮処分申請を却下する。

との裁判を求める。

第三、当事者間に争いのない事実

申請人は昭和二十三年一月被申請会社(以下単に会社という)に雇用され同会社大崎電球工場に勤務していたところ、昭和二十九年一月十三日会社は申請人に対し申請人が「重要経歴を詐りその他詐術を用いて雇い入れられた」もので就業規則第七十六条第五号に該当するとの理由で懲戒解雇する旨の意思表示をなしたこと。申請人が会社に雇用せられる際提出した履歴書には賞罰共にない旨記載せられているけれども、申請人は昭和二十二年七月二十九日甲府地方裁判所において住居侵入被告事件で懲役一年(四年間執行猶予)の刑の言渡を受け雇入当時東京高等裁判所に控訴中であつたがその後控訴取下により昭和二十四年三月二十五日右判決が確定したこと。申請人が会社の本社竝びに各工場の従業員によつて組織せられる東光電気労働組合連合会の組合員で、昭和二十三年三月より同二十四年二月まで大崎支部執行委員同年三月より同年八月まで大崎支部副支部長同年八月より同二十五年七月まで組合長(現中央執行委員長)、同二十六年五月より同二十七年一月まで中央書記長、同年一月より同二十八年一月まで中央書記長兼組織統制部長(同二十七年二月より同二十八年二月まで組合専従)同年二月より現在に至るまで中央執行委員長として組合役員を歴任し、この間なお昭和二十三年八月給与改定交渉委員同二十五年十一月越年資金斗争において中央斗争委員、同二十六年七月より同二十七年十二月まで中央再建副斗争委員長、同二十七年九月賃上斗争において中央斗争委員、同書記長兼組織統制部長、昭和二十八年十一月以降の賃上越年資金斗争において中央斗争委員長となり組合活動を行つてきたこと。

第四、申請人は右懲戒解雇の意思表示は、その解雇理由において合理的根拠を欠くものであり、就業規則の適用を誤つた無効のものであると主張するので被申請人代理人の主張する解雇理由について検討する。

(一)  元来使用者が事業の遂行上労働力の提供を受けるため労働者を雇い入れるに当つては、その労働者が企業体系における組織的秩序に配置され完全に企業の生産性に順応し、寄与することを期待するものであるから、その労働力の評価に過誤なからしめるためには先づその評価基準である人格、識見、思想、経験、性向、特技その他諸般の事項に関する正当な認識を得ることが前提とされる。蓋し労働力の評価はその発現の源である全人格を基本とし先づこれに向けられるからである。このために使用者は自らも所要の調査をなすべきは勿論であるが、労働者が使用者から前歴に関する報告書即履歴書の提出を求められたときは右の目的に副うよう真実を記載すべきであり、このことは雇用契約締結における信義則上の義務と解すべきである。

従つて労働者が雇用契約締結に当り真実に反した前歴を記載し又は真実の前歴を隠蔽すること即前歴詐称は右にいう信義則に違反するものに外ならない。

而して労働者が右義務に違反し前歴を詐称して雇用されたときはその責任を負うべきは勿論であつて懲戒処分はこれに当る。

ところで私企業における懲戒処分は使用者が経営秩序を維持し生産性の昂揚を図るために、労働者の秩序違反又は生産性に対する不寄与その他の信義則違反に対する制裁として労働者に一定の不利益を課し兼ねて他戒の目的を遂げるものであつて、就業規則に懲戒事由を掲げたときは、その規定は本来右の趣旨を具有するものであり、その具体的適用は使用者の恣意に専ら委ねられるものではなく、その規定の本旨と労動者の行動に鑑み、その処分の客観的妥当性の評価を受け、これを欠くときはその処分は無効と解するのが相当である。

蓋し懲戒による不利益処分は労働者の意思如何に拘らず使用者が一方的に課するものであるが、就業規則に懲戒処分として譴責、減給、出勤停止、解雇等の段階を定めたときは懲戒権の認められた前記の目的に照し懲戒解雇をなすについて自律又は他戒のため労働者を企業外に放逐することを相当とする程度の重い情状の存する場合であることを必要とするものと解すべきだからである。これを本件の就業規則について見るに、会社の就業規則(乙第三号証)第七十四条には懲戒は譴責、減給、格下げ、昇給停止、出勤停止及び懲戒解雇の六種としその一又は二以上を併科する。但し反則軽微であるか、又は改悛の情顕著なときには訓戒に止めることがある。第七十五条には左の各号の一に該当するときは減給をする。但し情状によつて譴責又は昇給停止若くは出勤停止にすることがある。第七十六条に左の各号の一に該当するときは懲戒解雇に処す。但し情状によつては出勤停止又は減給若くは格下げに止めることがある。第七十七条に従業員はこの規則の外に懲戒を受けることはない。と規定しているのは右に述べたところを宣言したものというべきである。

而して本件のように前歴詐称を理由とする懲戒解雇の場合において、その詐称がなかつたならば、雇い入れられなかつたであろうという因果関係が社会的に相当であると認められるときは解雇に値するものと解すべきである。

そして疎明によれば、申請人は他の三名と共謀の上昭和二十二年一月二十二日頃山梨県北巨摩郡登美村株式会社[言寿]屋山梨工場に赴き、隠匿物資摘発のためと称し、山梨県軍政部から来た者のように装い故なく、同所工場に侵入したとの理由で有罪判決の言渡を受け、前記の通り本件雇用契約締結に当りその事実を隠蔽してこれを履歴書に記載しなかつたのは、全人格に対する評価の重大な基準たる事実を隠蔽することにより会社に対する自己の人格の評価に甚しい過誤を生ぜしめたものでその事実を諒知していたら雇用されなかつたであろうことを肯定するのが相当であり且右のように詐称するという不信義的性格を有するものであるから、右は就業規則第七十六条第五号に該当し、一応懲戒解雇に値するものというべきである。

申請人代理人は申請人は本件雇用当時右判決に対して控訴中であつたので、未確定であり且つ犯意がないので無罪と信じていたから履歴書に記載しなかつた旨主張するけれども、有罪判決の言渡は履歴に関する重要な事実に他ならないから控訴中の故をもつて前記の結論を異にするものではない。また無罪を信じていても有罪判決が確定した以上その主張は採用できない。

然しながら前歴詐称が一応懲戒解雇を妥当ならしめる性質のものであつてもその他の事情の如何に拘らず必ずしも常に妥当の判断を不変ならしめるとは限らない。即ち解雇の意思表示をなす時期的関係とその間における諸般の事情を参酌することによつて前記就業規則にいわゆる情状により解雇を不当と許価すべき場合があるであろう。

よつて本件においてこれを考察するに申請人は会社に雇用されてから、会社が申請人の経歴詐称を発見した時期と主張する昭和二十八年十一月まで約六年間勤務したのであるが、その間の勤務状態について特段の非難すべき事由の主張と疎明のない本件においては、申請人は一応会社の経営秩序に順応し生産性に寄与したものと推認するのが、相当であり、また、会社においても申請人の全人格を評価するに必要な判断の資料を得た訳であるので、非難すべき性格行動について別段の疎明のない限り会社は申請人に相当程度の信頼を置くに至つた筈である。

申請人がこのようにして六年間会社に勤務したということは雇入当時の前歴詐称という信義違反に対する社会的評価をなすについて情状的判断に影響を及ぼすものといわなければならない。即ち労働者の雇入前の非難すべき行動(犯罪行為)と雇入当時の背信行為(前歴詐称)はその労働者が長期間会社の経営に寄与した後においては勤務当初におけると同様の企業に対する反価値的判断をなすべきではないと考える。

次に疎明によれば、本件解雇のなされた昭和二十九年一月十三日当時において既に前記確定判決は四年間の執行猶予期間の経過によつて同二十八年三月末日頃その言渡の効力を失つていたことが認められる。もつともその効力を失つたとしても過去の事実を抹殺するものではないこと勿論であるが、このことは行為者の人格に対する反価値的判断の程度に影響するものというべきである。

以上の事情を総合参酌すれば、会社は申請人の前歴詐称を理由として懲戒解雇の挙に出たのは結局酷に失するものであつて、情状により解雇以下の軽い懲戒処分をなすべきであり、懲戒解雇に値する客観的妥当性を欠くものと判断するのが相当である。従つて解雇の意思表示は無効といわざるを得ない。

(二)  被申請人代理人は前記有罪判決の言渡は控訴取下により昭和二十四年三月二十九日確定したのであるから、申請人がその旨会社に申告しなかつたのは就業規則第七十六条、第十一号に該当すると主張する。

然しながら同条同号は不申告を責める趣旨の規定と解することはできない。また雇入後控訴取下により前記判決が確定したので、同号にいわゆる犯罪行為により処分されたときに該当するものといい得ても、これを以て懲戒解雇の事由とすることが不当であることは前に説明したところと同様である。

(三)  不当労働行為の主張に対する判断

会社が右の解雇の意思表示をなした当時の事情について検討してみると、疎明によれば会社と申請人の属する前記労働組合との間には昭和二十八年九月以来賃金値上げ越年資金等に関し紛争が生じその後団体交渉を二十回も重ね、組合は時限スト等の争議手段をとつて斗争し漸く同年十二月二十二日一応の妥協点に達し十二月二十八日同月二十二日附をもつて妥結の調印を了したのであるがその間に中央副執行委員長柳沢二郎に対し転勤命令続いて解雇の申渡しがありさらにこれをめぐつて組合は十二月二十八日後も斗争体制を解かずにおいたところ昭和二十九年一月十三日組合役員改選の日である同月十二日附をもつて本件の解雇の意思表示のなされたことが認められるのである。被申請人代理人は会社側は当日組合役員改選の行われることは知らなかつたと主張するけれども組合大会が隠密裡に行われたというならば格別そうでない限り会社においてもそのことを知つていたと認めるのが相当であろう。かような解雇の意思表示をなすに至つた当時の事情と前記申請人の組合における地位と従来の組合活動の状況並に前段記載の事実関係とを併せ考えるとむしろ本件解雇の意思表示は申請人の右組合活動がその決定的理由となつたものと断定するのが相当である。してみれば本件解雇の意思表示は不当労働行為にも該当するものであつて無効といわねばならない。

第五、しかるに、右の無効であることが本案訴訟において確定せられるまでの間、右意思表示が有効なものとして取扱われ、申請人が被申請人会社より従業員としての待遇を拒否せられることは申請人にとつて回復し難い著しい損害を蒙るものと考えられるから、右の意思表示の効力を停止すべき旨の仮処分を求める本件仮処分申請は理由があるのでこれを許容し申請費用については民事訴訟法第八十九条により主文のとおり決定する。

(裁判官 西川美数 綿引末男 高橋正憲)

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